『春を呼ぶ甲子園』

先月、北見市を訪れた折、高齢化の進む
過疎の町、女満別まで足を伸ばした。
そして21世紀枠でセンバツ切符を
手にした女満別高校へ。
全校生徒132人部員19人の野球部は
凍ったグランドで長靴姿で練習していた。
「女高(めこう)を甲子園に」
町内各地には横断幕が掲げられていた。
 
町民の声援むなしく女高は初戦敗退。
彼らに涙はなかった。
今日はベスト8が激突。
どんなドラマが生まれるか興味深い。
 
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2月27日 雪のグラウンドで撮影
 
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サンデー毎日増刊「センバツ2012」より

『地震』

3月中旬なのに鳥取は大雪。
拙書が棚置きされている鳥取県立図書館へ
立ち寄り、県庁主催の
講演会で熱弁をふるう。
翌日の名古屋は快晴だった。
次の日、東京で突然の激しい揺れに慌てた。
「すわ、首都直下地震か」と戦慄した。
三陸沖でM6.8の地震に続き
午後9時、関東でM6.1。
巨大地震の予兆か?不気味な一日だった。
 
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『地力と執念』

僕を支えるモノは先人の血の
にじむようなモーレツぶりと精神力だ。
範とするのは「清貧の人」土光敏夫さん。
亡くなって24年。常に努力と精進を怠らず
難局を打開していった姿に共感を覚える。
 
『地力をつけよ』
困難にへこたれない本物の力が『地力』である。
失敗しても叩かれても踏まれてもいい。
それを糧にすればいいだけのことだ。
 
『執念を持って仕事せよ』
ピンチに敢然と挑む原動力は『執念』である。
執念深く物事を押しつめた経験のない者に
成功による自信は生まれない。能力とは自信。
執念の欠如する者には自信を得る
機会が与えられない。正しくその通り。
 
僕が独立・起業した折に他界した土光さん。
今も僕の心の中には彼の魂が宿っている。
 
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『不自由な建物』

明治の時代の監獄施設で当時のままの姿で
残っているのは網走だけらしい。
監獄は多額の国費が投下された重要施設だ。
しかし、建築思想がまったく異なるので異様に映る。
人が生活する建物は快適に造られているが
監獄は“看守目線”を意識させる建物だ。
受刑者が逃げないようにするのが
最大の目的だから止むをえない。
 
床は穴を掘られないように木床の下に厚い
コンクリートで固められその下にレンガを
敷き詰めている。壁は壊されないように
太い間柱が隙間なく入っている。
 
自由よりも束縛、開放よりも閉鎖。
建築常識をひっくり返した「不自由な建物」。
本当は二度と見たくない
行ってはならない場所かもしれない。
 
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舎房天井の天窓は鉄線入りガラス
 
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看守が囚徒を監視する舎房

『網走・最果ての地』

老舗企業の創業100周年記念事業に
招かれ北海道北見市を訪れた。
前日、網走監獄博物館まで足を伸ばす。
そこで、北方ロシアの脅威から日本を護り
北海道の開拓を進める囚徒たちの
知られざる北方史を見聞した。
 
「未開地の開拓は多額の費用がかかる。
賃金の安い囚徒を使えば工事費は
抑えられ、苦役で囚徒が死んだとしても
監獄の出費が浮くのだから一石二鳥だ」
当時の伊藤博文の名代だった金子堅太郎の
冷酷な提言に身ぶるいした。
行刑のすべてが展示されている館内で
風雪に耐えた男たちの物語を一読した。
マイナス20度の館外では、赤煉瓦塀に
囲われた建物の息吹と囚徒のつぶやきが
かすかに聞こえてきたような錯覚に見舞われた。
 
「ひめゆりの塔」の沖縄から網走へ。
温度差はなんと43度。
何よりも「命の尊さ」に震撼した。合掌。
 
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『不況に考える』

デフレ期の経営戦略は
『たたむ 削る 変える』である。
今の時代、打つ手打つ手が裏目に出て……。
迷いに悩まされる経営者は多い。
 
これまでの経営常識を一変しなければ
会社の存続はありえないと断言したい。
過去は「固定費がこれだけかかる」という発想から
目標利益を上乗せし売上目標を決めていた。
これからは「最低限欲しい利益はこれだけ」と
いう発想で確実な売上予測から利益を
引いて残りの経費目標を算出することだ。
つまり固定経費という概念を捨てすべての
経費を変動化させること。
これこそ「堅実経営の方法」と肝に銘じておきたい。
 
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